私が医者になったのは1989年ですが、私が医学部の5、6年生のときに、21世紀は臓器移植の世紀だという総説論文を読んで感動したことがきっかけで、移植外科医になりたいと思い、東京女子医科大学を見つけました。見学に行き、臓器移植におけるナンバーワンホスピタルに入りたいと思い、女子医大の腎臓部総合医療センター外科に入りました。
女子医大に入った後、医師になって4年目の時に徳島の病院に行くことがあり、徳島大学の血液内科の研究室に出入りするきっかけがありました。そこでは腎性貧血の研究をしていまして、そして腎性貧血の研究をしている横にあった小児科の先生方が幹細胞を使った研究をしていました。小児科の先生方は白血病などのガンに関して当時骨髄移植の代わりになるもので末梢血幹細胞移植を使った化学療法をやっていました。精巣腫瘍に対する超大量化学療法+末梢血幹細胞移植を医者になって7年目の時に女子医大泌尿器科で始めました。それが幹細胞との出会いです。
その後、医者になって9年目に泌尿器科の東間教授のご推挙でオハイオ州にあるクリーブランドクリニックという全米No.1ホスピタルに留学する機会に恵まれました。
ここでの私のテーマは、移植の拒絶反応をサイトカインとケモカインの発現を見て解析し、治療に繋げていくというものでした。そのときに自然免疫や獲得免疫などの免疫に関する基礎的なことは一通り勉強しました。
その後はクリニックの中で、テロメラーゼをターゲットにしたがん遺伝子治療をやっていた研究室に移りました。テロメラーゼは癌に発現するためそれをターゲットにすることによって癌を殺してしまうという遺伝子治療で、その時にテロメアとテロメラーゼに出会いました。
その後日本に帰ってきてからずっと臨床医として泌尿器科および透析、腎移植に関して邁進してきました。こういったバックグラウンドの中でいつかまた研究ができたらとは思っていましたが、2015年の終わりに名古屋大学の当時名誉教授の上田実先生に出会いました。
この先生は幹細胞ではなく幹細胞を培養している時に出す培養上清使って、様々な組織の再生や修復の研究を名古屋大学で多年に渡りやられていたわけです。そのデータを目の当たりにした時にこれは凄いと思いました。今まで自分がいろんな研究を若い頃にやってきましたし、臨床もやってきたわけですが、その中でこれこそが自分が追い求めているものだということを確信しました。2016年から銀座ソラリアクリニックにて、乳歯歯髄幹細胞培養上清を使った自由診療を行ってまいりました。この経験の中で、培養上清というよりその中に入っている本体というのはエクソソームだと私は思っていたため、現在、エクソソームの世界的第一人者であられます東京医科大学の教授をされている落谷先生と一緒になって、幹細胞のエクソソームの研究をより詳細にやって頂き、創薬に繋げられたらと思い、この事業を始めました。